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前未来的語り部

懐かしい現在

愛の持続、嫌われる覚悟

人を愛するときは、闇雲にその人に尽くせばよいというものではない。尽くすにはエネルギーが要るからだ。相手を安心させたり楽しませたりするために、頭を使って考え、身体を使って実行し、その相手に意識を注ぎ込む。そのような贈与的行為自体は素晴らしいものだ。世界は金と雨と愛で回っている。

だからこそ、そういうものは持続する必要がある。

人に尽くそう尽くそうと思っているとどうしても自分のことを見失ってしまう傾向が強くなる。相手のことばかりを見ていれば、その分自分自身を観察する意識が緩慢になるだろうし、そうなると人に尽くす中で自分が疲弊していることにも気がつかないのである。発想の視野は狭まり、身体の動きやフットワークも鈍くなる。

時間が立つにつれて相手に尽くすことが苦しくなってくる。だが、尽くさなければならないと思っている。それが愛の正しいあり方だと信じている。その時点で尽くすことは明らかな義務となってしまっている。純粋な義務からは明るい発想も感情も生まれる事はない。果たしてそのような状態で真に相手を喜ばせる事ができるだろうか。

必要なのは、相手を愛するのと同じようにまた自分を愛するということである。臭いことを言うが、とても大切な事である。

"君を愛するように僕を愛せたら良かった"とFoZZtone『LOVE』の中で渡會将士は歌ったが、「君」を愛し続けるには「僕」も愛せるようになることなのである。では、自分を愛するにはどうすればよいのか。

それは、【相手を一旦差し置いてでも自分が楽しいと思えることを断行する】ということである。

そんなことをしたら「相手に嫌われるかもしれない」「せっかく気に入られていたのに相手にされなくなってしまうかもしれない」と考えてしまうかもしれないが、大丈夫だ。

確かに人は離れて行くかもしれない。それは喜ばしい事だ。本当に自分の楽しいと思う事をやろうとしたら去って行ってしまうような人とは、可能な限り早い段階で距離を置くべきだからである。あなたとその人とはセンスが違う。面白いと思う事も幸せだと思う事も異なっている。良い人、悪い人如何に関わらず、その人たちはあなたの尽くすべき対象ではない。

よく考えてみればいい。あなたの本当に尽くすべき人は絞られるはずだし、あなたが尽くせる人の数も限られている。世界中の誰からも愛される人間は偉人かスーパースターだけだし、むしろその人たちを嫌う人は裏に何万人も存在するのである。自分一人が愛を注げるリソースは、冷静に考えるべきなのである。

人が誰かの役に立つため、愛を注ぐために生まれて来たのなら、万人に愛されようとしている場合じゃない。

嫌われればいい。その覚悟を持った姿勢こそ、自分が楽しいと思える時間をつくるわけだし、そういう幸せそうなあなたに集まってくる人こそ、あなたが愛するべき人だ。

だから簡単なのだ。何かを捨てれば、それ以上の何かが手に入る。余計なものに人生をとらわれているのならそんなもの捨ててしまえばいい。

誰かを愛し続けるには、誰かから嫌われる覚悟を持たなければならない。その覚悟を持って自分が楽しいと思うことをやればいい。

そして、本当にあなたにとって大切な人はそんなあなたを決して嫌わない。むしろ新しいあなたを見れてきっと喜ぶことだろう。

愛の持続、それはすなわち、嫌われる覚悟を持つということだったのである。

愛は雨のように注いでいる。

 

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