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前未来的語り部

懐かしい現在

ハッピーひとつ探してこの世にやってきた

自分の中で完結している場合じゃない。確かに、自分の中で完結すれば誰にも迷惑はかけないし、自分のペースでストレスなく、リスクもなく、自分の世界で生きることはできるだろう。

 

でも、それじゃあ爆発的なことは生まれない。ジョブズは自分の価値観をどれだけの人に「押し付けた」だろうか。今となっては偉人という扱いになっているが、このような結果が出る前はきっと迷惑極まりない自分勝手な押しつけ野郎だったに違いないのだ。

しかし、それでよかったのだ。私たちのような者には二択しか与えられていない。

 

自分の内なる世界で楽しむか、人に価値観を押しつけ巻き込むか、だ。

 

残念ながら私は世界に適合することはできない。決してできない。

そろそろわかってきた。自分が如何に社会に不適合な人間か。どれだけ自分の中にあるものが汚くて、新しくて、美しくて、奇矯で、不気味で、壮大なものか。およそ普通の人間には理解できないだろう。残念なことは、技術がないことと、勤勉でないことである。その二つがあったらもっと簡単に、効率的に、ストレートに、安定した「成功」とやらを獲得できるはずなのだ。

 

だが、私はあらゆる方位に無秩序に飛び回るという方法でしか生きて行けない、変わり者の鷹なのだ。とどまることも同じスピードや方角を維持することもできない。人より遠くのものは見えているつもりだ。その分悔しい思いも人より多い。だって見えているのに実行することも、人に伝える術も、実績もないのだから。これがどれだけ悔しいことか。

 

別に何か1つ決意を固めたってそれで自分が恒久的に変わるというものでもないことは、この24年間で分かって来た。だが、その決意は必ず1つのパズルのピースとして残る。手に一度収められたピースは選択肢の1つとなる。だから無駄ではない。例えその決意が三日坊主に終わったとしてもだ。

 

一般の人よりは遥かにコントロールの難しい自分と向き合って来たつもりだ。それだけの負荷を追いながら私は生きて来た。10代の頃はつらかったことの方が多かった。でも20代は楽しいことの方が多い。別に周りの環境と人が悪かったわけではない。むしろとても恵まれたほうだと思う(こんな自分が生きて来れたのだから)。

 

一重に私自身が未熟だった。

 

今は成熟しているなどと言うつもりはないが、少しは自分の法則みたいなものがつかめてきた。そして、自分にとって必要不可欠な人や環境が周りに存在してくれている。自分の努力と稀少な身内、尊敬できる先達や、心から好きと言える音楽や本、お酒、スポーツなどによって、私は、僕はなんとか生きている。

 

かなりの幸せを感じながら日々生きているが、どこか1つでもバランスが崩れれば精神を病んでしまう可能性と常に隣合わせでもある。最近になって、よくこんな人間が心身共に健康な状態で生きてこれたと思うのだ。いい国といい人に恵まれたおかげである。

 

僕のハッピーを実現するために色々考えた結果、僕は自分の世界を大切にしながらも、今やるべきことは、とことん自分の世界を周囲に押しつけていくことだと知った。押しつけて行くというのは「命令する」とか「強制する」とかいうことではない。

 

外に向くということである。

 

今まで自分の中にあって、自分の中だけで楽しんでいた文化に、人を巻き込むということである。まるで高貴なるウイルスのように、人々の脳の中に自分の価値観を侵入させるということである。

 

それが成功することによって、やっと私は自分の中に勝手に作り出している義務感や焦燥感に打ち勝ち、真に自由な自分と出会うことができるのだと信じている。