counter

前未来的語り部

懐かしい現在

「めんどくさい」の解法

めんどくさい。めんどくさい。めんどくさい。

どういう機能になってほしいとか、どんなデザインになってほしいとか、もう見えているのに、いや、見えているからこそそれを実装するのが面倒で仕方ない。

なんで、僕がやらないといけないのか?

そうだ、お金を払って誰かにやってもらおう。くそ、格安で誰かやってくれよ。


めんどくさい。一つ問題点が思い当たるとすれば、僕は今「WEBアーティスト」でないということだ。

色んな分野の能力を上げる「ダ・ヴィンチ」なのである。これをやっているとどうしてもWEBなどの「座学的作業」が面倒に思えてきてしまう。

というかたぶんプログラム以外が忙しいのだ。
ボーカル、ピアノ、バドミントン。時間的には別に他のものをやることはできる。でも脳みその領域が別のものに取られてしまっている。

そして、そもそも休みがないし、気分転換もない。それがある種の閉塞感を作り出しているのかもしれない。

僕がやるべきことは、なんだろう。
多面的に見れば、ボーカルとピアノとバドミントンは並行して両立できているということである。そして、これらの共通点はすべて「身体的活動である」という点にある。

一方、文章やプログラムや絵は極めて「座学的活動」である。


おそらく僕は「身体を動かす」か「脳を動かす」かのいずれか一つしか、ある期間内に集中して取り組めないのだろう。

「身体を動かす日」と「脳を動かす日」と「何も動かさない日」というのを設けて、はっきりと区分する。

つまり、何かを捨てなければ何かは得られないのだ。ただし、何かを捨てたときの集中度は平均的な人の集中力を遥かに凌ぐ。

細かい調整具合はよくわからないけれど、ひとまず歌やピアノや運動など刺激の強いものを一度すべて休む状態を作り出すべきである。

今日は歌わないし、ピアノを弾かないし、素振りもしない。

僕の場合は「何かをしない」というのが重要な選択なのかもしれない。

確かに毎日練習できないことが落ち度になりそうな気もするが、短距離型なのであれば、2日に1回集中して練習すればいいだけのこと。むしろその方が休息を挟めるので健全でいられるし、意識の切り替えもはっきりして思い切り各分野に集中できる。

いやあ、400字程度の文章を書いただけで楽しくなって来た。

それにしても陸上をやっていて本当によかった。コンディションニングや休息意義、人間の身体の成長の速度や練習の頻度などの感覚を一通り知る事ができたから。

これがなければこんな複雑なことをやろうとしているときに、内面のコントロールをすることなんて到底できなかっただろう。

ありがとう、陸上競技