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前未来的語り部

懐かしい現在

「非LINEユーザー」という選択

「LINEというアプリに登録しない」というのは一つの権利である。
 喫煙を例にとれば分かりやすい。喫煙者だろうと非喫煙者であろうと、等しくその選択は認められるべきであり、それはその人の生活スタイルなのだ。互いにマナーを守り、共存し合うためのささやかな努力の積み重ねがあれば、どちら側の人間も愉快に暮らすことは可能である。
 LINEにおいても、その命題が真であることは自明なはず。ただ、現状において足りないのは「名前」だ。名前がないからこそ概念の輪郭が曖昧になり、「空気」によって状況が支配されてしまう。私たち人間は語彙の創造によって、概念をコントロール可能にしてきた歴史がある。その歴史に少しばかり色を塗り足してみよう。
 LINEをやっている人のことを「ONLINE」、LINEをやっていない人のことを「OFFLINE」と呼ぶこととする。
 違いはただ「ON」か「OFF」なだけである。そこには上下関係も人間的資質の優劣も時代の先行性も存在しない。
 二つの差は、純粋なる選択の差である。
 「佐郷さんはLINEやってますか?」
 「あ、僕はOFFLINEなんです。メールでお願いします。」
みたいな会話が自然に行われるべきであるが、近頃は皆が何にも考えずに「LINEを連絡手段として使うのが、現代人の常識」みたいに思っているため、
 「佐郷さんのLINEIDを教えてください。」
 「僕LINEやっていないんですよ。」
 「珍しいですね〜」
のような空気感が生まれるのである。
 「私はOFFLINEなんです」
 この一言で、「LINEをやっていない時代遅れな人」というニュアンスでなく「私はLINEをしない選択をしている人なんです」という積極的なメッセージ性が生まれる。そして、これまでONLINEだった人がLINEを辞めることを「断捨LINE」と呼ぶことにしたらどうだろう。
 「LINEを辞める」というのは、人間関係においてリスクを負う積極的かつ明白な決断であるからして、
 「おれ、断捨LINEします。これからはメールかメッセージでの連絡をお願いします。」
という定型文が必要となることは畢竟だからである。
 そもそもONLINEの人は、久しく「LINEがない=OFFLINE」の景色を見ていないから、それを忘れているか、あるいは最早若年層の場合その景色を知らないことがあるかもしれない。LINEのような極めて「湿度の高いコミュニケーションツール」がこれほどまでに人口に膾炙しているのは日本のみという話もある。
 それだけ「LINEをスマホユーザーのほぼ全員が登録している」という状況は「異常」な状態とも言えるのである。
 もちろんそれが「間違っている」と言っているのではない。LINEという湿度が高いからこそ生まれる親密な関係やグループなども存在することは喜んで認める。
 しかし、それをあたかも当然のコミュニケーション方法と認識していることに関しては疑義を呈せざるえない。
 ONLINEによって人間関係に絡み取られ、身動きが取れなくなっている10-20代の若者は実は結構多いのではないだろうか。
 LINEに登録していると抜けられなくなるし、返事をこまめに返さなくてはならないし、登録をしていないとLINEをしていること前提で対面コミュニケーションが進み輪に入りづらい。
 そのような問題が、特に学校生活という閉鎖性の強い空間では起こる可能性が高いのではないだろうか。
 最近になって「夫婦同姓か夫婦別姓かは、特別ではなく、公正な選択である」という空気ができてきたように、「LINEをするかしないかも公正な選択である」という文化になれば、救われる者も多いのではないだろうか(あと、湿度が低い人間が増えて、総体としての独自性が増すため、クリエイティビティーは増すだろう)。
 また、ONLINEの人は一時的にでも「断捨LINE」をしてみて、OFFLINEの景色を見てみるのも、大変今後の人生の糧になるかと思うので、そういうリスクを負える人にはオススメする。
 将来を担う若い人たちのためにも、「断捨LINEしてOFFLINEになる」という選択肢が自由に取れるような空気を、私たちLINE先行世代が残してあげられたら素敵だと思う。