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前未来的語り部

懐かしい現在

小論文の練習

 サイゼリヤがイタリアンレストランであることをいったいどれほどの人が認識しているだろうか。少なくとも、私はそれを知らずに今までステーキやハンバーグばかりを注文してきた愚民である。
 ところで、ファミリーレストランにはよくテーブルの上に呼び出しボタンが設置されている。あの装置は実に画期的だ。
 日本人というのは常に空気に縛られ、他人の視線を気にしながら自分の行動を選択する節がある。そのような民族に、周囲に他人ばかりがいる状況で、大きな声を出して店員を呼び止めろと云う方が無理な「注文」である。そのような背景もあり、ボタンを押すだけで店員を呼び出すことのできるあの装置は、全国に普及することとなった。 
 
問題は、「あの装置」の形状である。 

 

どう見ても「おっぱい」なのだ。 

 
本物のおっぱいと違う点と云えば、乳首という名の突起部が削がれていること、そして固いということである。

突起部があって、柔らかいおっぱいを見ると、男性は自身の内部で発生する「突起」と、それが「固くなる」ことに気付くのが常である。

 それに対して、突起部の削がれた、固くて艶のない「おっぱい」(=呼び出しボタン)が、我々男性の「突起」やその部位の「固化」を引き起こすことは稀だ。たとえあのボタン(乳輪?)を押したとしても、我々の「胸」は一切ざわめかない。

 私は、ここに男性によるおっぱいへの固執の元凶を見た。最近の若年層の男性が持つ女性の胸に対するこだわりは、目に余るものがある。その代表的なものが、「巨乳と貧乳への両極化」だ。つまり、「よりおっぱいらしいおっぱい」(巨乳)か、「おっぱいなんていらない」(貧乳)なのである。この二極化が進んでしまったのも、ファミリーレストランにある「不完全なおっぱい」のせいなのだ。若者は、ファミリーレストランに行って注文をする際に、必然的にその「不完全なおっぱい」に触れることとなる。しかし、それは必要悪であり、いくばくかの不全感が無意識のうちに蓄積されることは忌避できない。それにより、「完璧なおっぱいを求める」、あるいは「おっぱいなど必要最低限あればよい」という反動形成が働く。 
 また、ボタンを押すという行為は、押した者のデジタル化を促す。つまり、「1か0」でしか評価や判断を下せなくなるのだ。これも、先の両極化の背景の一面である。   


 このような問題が前景化しつつある今こそ、企業や政府は迅速な対応を求められるのではないだろうか。