counter
読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

前未来的語り部

懐かしい現在

Terakoya脚本

◇設立理念

「学びたいから学ぶ」、その教育の理想かつ基本を実現するための教育機関を作ります。

まず、一つの例をお話します。
錦織圭を見て、コートを借りて、教えてもらえる。そうするとテニスをやりたいからやってみたという経験をすることができる。少なくともこの瞬間は、誰にも強要されることなく、完全なる自分の内発的動機からこの人は新しいことを学んだのだ。

さて、これはスポーツだけしか当てはまらない事例なのだろうか?
勉強でもこれは当てはまるのではないか?

例えば心理学。
ホンマでっかTVというテレビ番組がある。そこの植木先生の授業を聞けば、もう少しその分野に関して勉強してみたいと思える。
そのときに、その分野の基本を学ぶための教材があって、植木先生がいくらでも質問に答えてくれたり、「まずはこれを勉強したらいいと思う」と学習プロセスを教えてくれたら?
その時、その人は心理学について誰にも強要されることなく完全なる内発的動機によって勉強し始めることになる。

そう、そもそもなぜ大学生以下の子どもに心理学を学ぶ機会が与えられていないのか? 法律でも政治学でもフランス語でもスポーツ科学でも経済でもいい。
もちろん国数英理社という主要5科目は基礎学力となる。でも、学問はそれだけじゃない。まだ若いうちに先の景色を見てはいけないのだろうか?
テニススクールで基礎的なフォームを覚えてから、小さな大会で勝てるようになり、ある程度大きな大会で勝てるようになった者しか錦織圭の試合を見る機会は与えられないのだろうか?
今の日本の教育というのはそのような仕組みになっているように私には思える。

既存の学習塾はすべて、学校の定期試験の成績を上げ、中学・高校・大学に合格することを最終的目標として掲げている。
もちろんその中には良い先生もたくさんいる。科目の楽しさを教えたいという熱意があり、それを伝える知識と技術と経験のある先生が実際にいる。
だが、そういう素晴らしい先生に出会える人は一部しかいない。そもそも、経済的な余裕がなければそのような教育機会に触れる可能性すら持てない。
そしてそのような先生がいてもなお、既存の学習塾というシステムに内包されていると、「成績を上げること」の方が「科目の楽しさを知ってもらうこと」よりも優先順位が圧倒的に高くなってしまう。つまり「科目の楽しさを知ってもらうこと」は「成績を上げること」の従的要素であり、それに特化している場所はおそらくまだこの国において確立されていない。

勉強は「将来のため」という外的動機によりやらされるもの。
小中高生は主要5科目の教科書に掲載している内容を学ぶもの。
塾は定期テストの点数を上げたり受験に合格したりするために通う場所。
そんな常識がいつのまにかこの国の教育界にはびこっている。

これは、そんな常識を変えるために考案した一つの「システム」の話だ。

 

◇システム概要