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前未来的語り部

懐かしい現在

語るべきではないこと

 自分の行動や心をクリアカットに分析することは、自分の直観や感性の尊厳を傷つける行為なのかもしれない。

 なんでそうしたか。どのような目的があってそのような決意を行動に移したか。どのような利益を得たかったのか。

 それを解明することを楽しんでいた。でも、拙速だったように思う。感性のペースに沿わずに、頭が先に進んでしまっていた。ここまで複雑怪奇で過激な変化の起こる己の心を解析するには「分析」だなんていう軽量のツールでは到底太刀打ちすることはできない。己に立ち向かえるのは「物語」だ。解明を目的としていない、ただ感性を言葉に置き換えた作品だ。それ以外、自分について正しく語ることができるものはない。友や恋人のアドバイスすらも、そして自分の思考ですらも、僕を正しく語ることはできない。僕のイデアを象徴するのは物語である。それ以外は不可能だ。

 現実においても、僕を語ることができるのは僕の言葉ではない。僕の行動だ。直観から為された行動のみが僕自身を語ることができるのだ。行動と物語。それが僕を表現してくれる。